各地の歴史まつり、時代まつりの参戦記です。
甲冑を着る祭りが中心
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さて、甲冑武者の集合場所である岩出山総合支所の三回で受付を済ませると、視界に入ったのは自分の氏名が書かれた札のついた甲冑。
そうです。この祭りでは、甲冑に名札がついていて、見物客に晒すのです。
昨年は見物していたので、甲冑に名札がついていて、「一般公募(氏名)」と表示してあることを知ったのですが、今年は「役名 住所(自治体名) 氏名」になっていました。
今回の政宗公祭りでは、どういう訳か今までより女性の参加者が多いらしい。
初めて甲冑姿になる女性に、着付けを手ほどき。(今回は本職の着付師がいない)
「肩が痛い」「腰をさらしで締めると楽になります」「本当だ。楽になった」
甲冑を着るときに肩だけで支えると某でもきついでしょう。さらしで腰を縛ると重さが分散されて楽になります。
「甲冑は腰で着る」とはよく言ったものです。
9月10日、宮城県大崎市岩出山(旧岩出山町)で行われた「政宗公まつり」に甲冑武者として参加いたしました。
自宅から岩出山までは、山形道から東北道と、国道13号から47号を通るルートがあるのですが、行きは国道経由で行くことにしました。
途中、スタンプラリーのため道の駅とざわへ寄り道。
13号から47号へ入ると、案内標識が「庄内 酒田」になっていました。以前は「立川 酒田」でしたが。
戸沢から47号を折り返して岩出山を目指す。距離の表示は「古川 鳴子」のまま。どっちも大崎市なので変えるのは無理でしょう。
ところが、県境の看板が、宮城県 鳴子町のまま。大崎市になって半年近く経つのですが。
当然、写真に納めました。
ただ、その先の看板は「岩出山町」とあった看板を活かして「大崎市 岩出山」になっていました。
明けて8月16日、参加者の集合場所である春日小学校の集合時間が10時30分。
そこで、時間まで郵便局めぐり。
10時過ぎに春日小学校へ到着。体育館には、所狭しと甲冑が並べられています。その数、約160領。その中から本日着用の新発田隊の甲冑を見つけました。
この日のために新調したとも思える甲冑でした。この祭りでは一般兵でもこのような甲冑が着られるのです。
暫くすると、校庭でリハーサルが行われます。今年は、甲冑をつけず、刀(竹光)だけ持ってリハーサルです。去年は、甲冑フル装備でリハーサルしたのですが、今年は暑いのでやむを得ないでしょう。
リハーサルは、昨日の動きの再確認でしたが、やはりスムーズに動かない。本番が不安だ。
昼食後、上杉軍の武将役は林泉寺へ行くため先行して甲冑姿に。その後、上杉軍一般兵と武田軍が甲冑姿になります。
さすがに甲冑姿は暑い。今年はなおさら。重さには慣れてますが。